この間の答案編では、
当事者の確定を論じてから送達の有無を論じるのは疑問
と書いたんだけど、これはおかしくないのかも。
こう思ったのは、送達がないと当事者を論じる余地はないんじゃないか、当事者の確定のためには、常に送達が前提ではないか、と考えたからなのね。
この思考は、①送達→②送達された相手は当事者なのか
という思考順序(ルート1)。
でもそうじゃないのかも。
①当事者は誰なのか→②その当事者に対する送達はあるのか(→③なければ送達やり直し)(ルート2)
こういう思考順序もありうる。
そして、後の方が、正しい気がする。
なぜかっていうと・・・よくわからないけど、当事者っていうのは、原告の意思、訴状の記載などから総合的に判断されるわよね。その判断をするにおいて、送達って関係ないと思うのよね(理由①)。
もう一つは、当事者の確定を論じるときに誰も、「送達された人が当事者なのか」って議論はしてなくて、「当事者とは誰なのか」って議論をしてるから(理由②)
だから、やっぱり当事者を確定させてから、送達を論じるべきなんだと思う。
あら・・・そもそも送達されたかどうかって、どうしてわかるのかしら?
「送達された」というのは「当事者が訴状を受け取った」という状態なのでは?とすると、当事者が決まらないと、送達があったかどうかなんて決められない・・・ルート1はそもそも破綻していたみたいね・・・